教授あいさつ

教授あいさつ

富山大学脳神経外科のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。 

 1980年、富山医科薬科大学脳神経外科は高久 晃教授率いる「七人の侍」が「Klein aber Mein(小さいけれど我が物なり)」しかし「眞白いキャンパスに思いきり自由に絵を画く」心意気とロマンを胸にスタートし、教室の礎が確立されました。その後、高久先生は富山医科薬科大学・医学部長(2期4年間)、富山医科薬科大学・学長(2期8年間)を務められました。高久先生はこの教室を語る上で欠くことのできない、まさに「地上の星」でありました。

 1999年、遠藤俊郎先生が富山医科薬科大学脳神経外科の教授に就任されました。頚動脈疾患など広範な領域で大きな足跡を残されています。2005年、富山医科薬科大学は富山大学に統合しましたが、2011年より遠藤俊郎先生は富山大学・学長(2期8年間)を務められました。
現在、国立大学は「大学・学部ミッションの再定義」「グローバル化」「イノベーション機能強化」「大学ガバナンス改革」など、矢継ぎ早の改革の荒波に曝されていますが、遠藤先生は「常夜灯」のごとく、常にわれわれに確かな道筋を照らして下さりました。

 さて、不肖黒田は、2012年3月より富山大学脳神経外科を主宰する機会を与えていただいております。当初から「文武両道」を教室のテーマとして掲げています。われわれは「基本的診療科」の一翼を担う脳神経外科医ですから、脳神経外科疾患に苦しむ患者さんを総合的に診療することは当然の責務ですが、究極的には自らがメスやカテーテルを置いて引退するまで、自分の外科治療、血管内治療の技倆を至高のレベルまで高めて患者さんの人生を救う努力を責務として負っています。しかし、この世に生まれた者としてそれだけでは不足です。診断・治療技倆の向上のみならず、新たな知見や発見を積極的に世に問うことを教室・同門の仲間に強く勧めています。エビデンスは「覚える」だけではなく「創造する」ものであり、最近世界を席巻している診療ガイドラインの礎を自らが産み出す努力を怠ってはなりません。この「文武」の両輪がきちんと回ってこそ、脳神経外科医としての成長のみならず、世界の脳神経外科、神経科学の発展に寄与できると信じています。これからも時間の許す限り、この「船」のオールを握って漕いでいきたいと考えています。

 黒田が赴任して7年が経ち、われわれの診療、研究、教育の体制もほぼ整いつつあります。黒田は脳卒中の外科をメインに脳腫瘍、脊髄疾患、機能疾患(顔面けいれん、三叉神経痛など)を、桑山直也准教授は血管内治療を、赤井卓也講師は脳腫瘍、小児神経外科、神経内視鏡を、富田隆浩助教は脳腫瘍、コンピューターグラフィックを用いた画像診断を、秋岡直樹講師は血管内治療、脳卒中の外科を、堀 恵美子助教と柏崎大奈助教は脳卒中の外科をメインワークとして、日々邁進しています。

 初期研修医には、「富山創志プロジェクト」として近い将来、脳神経外科医になることを主眼に置いて診療・研究に邁進することを推奨しています。後期研修医にもエビデンスに準拠した診療や日々の研修に満足して安住することなく、常によく学び、自分でよく考えて、成果を世に問う姿勢を重視するよう、時には朗らかに時には厳しく指導しています。黒田が赴任してから山本修輔先生、白石啓太朗先生、加茂徹大先生、丸山邦隆先生、浜田さおり先生、城 泰輔先生、岡田恭典先生の七名が、将来、世界の脳神経外科を背負って立つ気概を胸に日々研鑽を重ねてくれています。彼らの成果は、卒後まもない頃からの論文、学会賞などで少しずつ具現化されつつあります。

 以上、脳神経外科疾患に苦しむ患者さんには最良の医療を、脳神経外科を志す若者には最良の環境を提供し続けていきたいと考えております。富山大学脳神経外科のさまざま活動については、本ページおよび「富山大学脳神経外科Facebookページ」で日々発信しておりますので、ぜひご覧いただければ幸いです。

富山大学 大学院医学薬学研究部 脳神経外科学
教授 黒田 敏

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